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コラム文:

AI 全盛の時代、フィルム写真は「閉じない世界」に戻ってきた

安宅和人さんが 2026 年 2 月に公開した 「閉じる世界と閉じない世界」 という整理を見て、フィルム写真のことばかり考えてしまいました。

AIがどこで強く効くかを半年前に整理した図。

鍵は、
繰り返し可能か
誰がやっても結果がすべてか
の2軸。

コピーでき、再現でき、ログが残り、何度も試せる世界ほど、AIの圧縮圧力は強い。code生成はその典型。… pic.twitter.com/TbJZ3vxD7J

— Kaz Ataka / 安宅和人 (@kaz_ataka) September 9, 2026

図の骨格はシンプルです。横軸は「物質と時間の一回性」。繰り返し可能なものか、一回きりのものか。縦軸は「人がそこにいることの価値」。誰がやっても結果が同じか、それとも誰がやるかが決定的に大切か。この二軸で世界を四つに分け、右上(一回きりで、しかも中身の人間が介在する価値が高い領域)を「物質と時間で閉じない世界」と呼んでいます。天ぷら、陶芸、演奏、人づくり。 AI による自動化が最も困難で、希少化によって価値が増幅する領域です。逆に左下の「サイバーで閉じる世界」は、コピー可能で反復的に最適化できる AI の得意領域です。コード生成や法務文書の作成がここに入ります。

ソフトウェアエンジニアを本業としている筆者にとって、日常的に行なっているソフトウェア開発は左下の領域です。フィルム写真はどこにあるのでしょうか。答えは右上だと思います。ただし面白いのは、おそらく「写真」はもともとそこにいたわけではない、という点です。

写真は一度「閉じる世界」に飲み込まれた

写真はそもそも複製技術の代表格でした。ベンヤミンが 『複製技術時代の芸術』 で真っ先に取り上げたのは写真です。そしてデジタル化は、写真をほぼ完全に左下へ運びました。撮り直しはデータ容量が許す限り限りなく行うことができ、データは劣化しないコピーとなり、そして Photoshop などのソフトウェアによる補正技術・技法も広がりました。「誰が撮っても一定水準の結果が出る」方向に、エコシステム全体が向かっていったと言えます。図の言葉を借りれば、写真はAI圧縮領域に飲み込まれた技術の典型です。 フィルム需要がピーク時の何分の1になったか を決算資料から追った当サイトの過去のコラムは、この飲み込まれ方の規模を数字で示したものでもあります。

ところがフィルムだけが、その流れに逆走しました。理由は懐古趣味ではありません。フィルムには 一回性が技術的制約として構造に埋め込まれている からです。フィルムに記録された潜像は化学的に不可逆で、シャッターを切った瞬間の光は取り消せません。フィルム 1 本あたりの撮影回数の上限も加わります。現像を終えるまで結果が分かりません。これらは欠点として長く語られてきましたが、安宅さんの図に置き直すと、そのまま「物質と時間の一回性」の高さを示す指標になります。

ここで思い出すのがロラン・バルトです。ベンヤミンが写真の「閉じる側」、つまり複製可能性を論じた人だとすれば、バルトは 『明るい部屋 - 写真についての覚書』 で「閉じない側」を論じた人でした。バルトは写真の本質を 「それは=かつて=あった」 というフレーズに集約します。被写体から反射した光が、その瞬間に、物理的に感光面へ届いた。写真はその事実の痕跡であり、だから写真は「それがかつて確かにそこに在った」ことを証明する、という議論です。

バルトは写真の本質を「それは=かつて=あった」という言辞でもって要約しましたが、写真に表象された被写体の姿とは、撮影の瞬間、カメラのレンズの前に実在したものでなくてはならないのです(つまり、その映像とは被写体の「過去の現実」の客観的な証明だといえるわけです)。

ロラン・バルトにとって写真とは何か | 著書紹介 | 学部学科 | 二松学舎大学

デジタルと AI が写真からゆるやかに奪っていったのは、まさにこの「かつて、そこに在った」という保証です。近年のモデルはそもそも存在しない「現実」をフォトリアリスティックに生成する力すら持っています。フィルムに残った一回性とは、言い換えればバルトの言う写真の本質が、いまも技術的に担保されている状態のことです。

フィルム写真に関する実態調査2025 では、フィルム写真の好きなところとして「写真ができるまでのワクワク感」を挙げた人が52%いました。現像を終えるまで結果が分からないという一回性の制約が、そのまま楽しさとして語られています。また経験の浅い層ほど「デジタルな世界から離れるきっかけ」を挙げる傾向があり、 中国の600人を調査したScientific Reports掲載の論文 も、同じ動機を別の角度から裏付けています。

一回性を欠点と呼ぶのをやめる

フィルム写真のコミュニティは長いあいだ、失敗や不便さを「それも味」と言い換えることで自分たちを納得させてきた面があります。安宅さんの図は、その言い換えをもっと構造的に捉え直すきっかけを与えています。一回性は味ではなく、AI が圧縮できない価値の源泉そのものです。バルトの言葉を借りれば、それは「かつて、そこに在った」ことの保証であり、その価値は、撮る人と現像する人がそこにいることで初めて成立します。

フィルム写真は、写真という技術の中で唯一「閉じない世界」に戻ってきました。これから増えるのは、その事実に惹かれてフィルムを選ぶ人たちだと思っています。

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